当たり前にある地域のつながり

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こんにちは、コマツです。

今日は、浦幌神社主催の蕎麦打ち体験に参加してきました。

 

この体験講座、浦幌の子どもたちに色んな地域の文化体験をしてもらおうと講師を招いて2ヶ月に一回程度の頻度で開催されている。

今日は、仕事を退職し、蕎麦打ちを趣味にされている浦幌の方が先生となって、子どもたちと一緒にそば打ちを教わりました。

 

一連の流れを教えてもらい、5人ぐらいのグループに別れて少しずつ行程を体験しながら蕎麦を作ります。

 

蕎麦打ちを教えてくれる先生は4人、サポートで昼食用のめんつゆを作ってくれる人がいたりと、なんだかんだで10人ぐらいは、この講座を支えるために関わっていました。

 

ワークショップや、体験講座を開くには、どうしても人手が必要。

そこを地域のつながりで支えてくれる人が浦幌(田舎)には多いような気がする。

 

しかも、特別なことではなくて、当たり前のように何年、何十年と続けてられていることがすごい。

 

僕にはまだ子どもがいないけど

ここで、暮らして子どもを育てるにはとてもいい環境なのだろうなと思う。

ITのおかげで、幼少期の教育環境は都会との差はなくなってくるかもしれないが

人として生かされていることの認識や人への感謝、挨拶など

自然や大人の人と関わる実体験から教わることが田舎にしかない価値として残るはず。

 

もし、それがなくなってしまったらどうなるのだろう。

その価値を絶やさず受け継いでいけるように何ができるか。

何がやりたいか。

 

また明日も。

自分の言葉で伝えられるだけのことを

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こんにちは、コマツです。

自分の仕事を自分で創ることが理想ですが、

図らずも周りの人が考えてくれて、僕に仕事を作ってくれようとしてくれる。

 

そんな人に囲まれている僕は恵まれているし、ありがたい。

それに応えるためにも、自分のやりたいことをしっかりとイメージしなければ。

どんな来年になるのか、計画を立てなければ。

 

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話が変わるが今日の夜は、浦幌へ移住を考えている方との飲み会へ。

 

移住者の一人として暮らす者の立場から、何を話すか、何を伝えるか。

どう受け取るか、何を感じるかはその人次第ではあるけれど

今できることをできる限りする。

 

それを意識することを忘れていた。

 

もちろん多少なりとも、伝えることはしていたが、

それを意識していたかと言われるとできていなかった。

 

意識しているかしていないかには、大きな差がある。

 

伝えることを意識していれば、僕なりに伝えれることはあるはずだ。

自分の言葉で伝えれるだけのことを、伝えよう。

 

伝えることができるように、なんでその場にいるのか。

意味を見つけて、何をしたらいいかを考えよう。

 

 

やっぱり、僕はまだまだだ。

でも下を向かず、明日こそはできるように。

言葉にすることの決意

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こんにちは、コマツです。

 

11月18日に、総合旅行業務取扱者管理者資格試験の合格証書が届いた。

自己採点で合格であることは、わかっていたけれど

証書が届くまでは、何があるかわからない。

 

届いて、手にとって、実感が少しづつ湧いて来た。

旅行業務をこれからやるんだ。という実感が。

 

その実感に背中を押されるように、

これからどうしていくか。を言葉にして発信することができた。

 

言ったことに責任を取れるのか。

本当に言ったことを正直に行動に移せるのか。

 

言葉にすることの恐さを持ちながらも

言葉にすることができた。

 

やってやるぞ。という決意を言葉にして、公に向けて言うことで

自分自身の意思を固められた。

 

決意して発言する。よりも

発言して決意する。の順番の方が僕には合っている気がする。

 

「言ったこと、やらんかったらかっこ悪いでえな」

 

そういえば、そんなことを僕の尊敬するエイジさんが言っていた。

 

僕は、いろんな人に大切な言葉をいつの間にかもらっている。

もらった言葉に気づけた時は、アハ体験のように腑に落ちる。

 

言葉にして発言して、初めて意思が固まるのかもしれない。

あとは、愉しんでやるだけ。

ありたい、叶えたい未来をイメージする

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こんにちは、コマツです。

 

今日は新月

僕が所属している会社では、月の満ち欠けを全体のリズムとして捉えている。

新月に新しいことを決めて、満月に向かって決めたことを進めていく。

満月から、新月に向かってはこなしながら次の新しい展開を考えていく。

絶対に、このリズムで行動しなければいけないものではないが、共通意識としてチーム全体のリズムを作ることに適しているのではと思っている。

 

そのタイミングに合わせて、代表からメッセージをもらう。

上司からも、メッセージが出るときも。

 

大きな夏の事業を終えて、思考する今、自分に問いかける時間が持てている。

そんな中で、このメッセージをもらった。

 

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何のために頑張っているか、頑張ってこれてるかを自らに問いかけて、ホントの意味で困難愉しめるように、自分の言葉で未来を語れるように、資格を活かせるように!

 

地域の人、先輩後輩、人との関係性を育む、出来ないを認め合うこと、間違いなく大切なことです。
自分の言葉で腑に落ちるまで、いろいろチャレンジ続けてくださいね!

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この言葉を受けて、なぜ、そう行動した方がいいのか。

なんとなく、わかるけど、誰かに納得するように説明はできないけれど

ただこの言葉を信じて、自分で考え行動をしていけば色々と気づくこと、腑に落ちることがあるのだろうと思う。

 

今、自分にとって優先度の高いことは何かを考えると

やはり、ありたい未来を想像(イメージ)することだろうと思う。

 

一流になったスポーツ選手が子供の頃から立てていた、成長計画・目標計画のように、何年にどうなって、何十年後には目標に到達するということを、人生においてもイメージすること。

 

ただ、漫然と日々を過ごすより、目標に向かって生きていく人の方が成長するだろうというのは想像できる。

それを自分の生き方にしっかりと落とし込めるか。

そのためにも、自分がどうしたいのか。を問いながら、未来の自分のイメージを持たなければ、目標の立てられないし、立てた目標に向かって困難さえも愉しんで生きていくこともできないのだろう。

 

これは、いいか悪いかではなくて、個人の選択の問題である。

他人、社会の生き方などは無視して、自分が気づいたことから自分で決める。

ありたい、叶えたい未来をイメージしよう。

そのために、「なぜ」という問いを自分に投げかけること。

 

気づけ、動け、ジブン!

真面目だけでは伝わらない

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こんにちは、コマツです。

 

今日は帯広に、「人の心を鷲掴みして財布をこじ開ける!キャッチコピーの作り方」という講座へ参加してきた。

 

タイトルからして、興味を引く講座名だ。

 

講座での主な内容は、ターゲットとメッセージを磨けば磨くほど、

人の心を鷲掴みにするキャッチコピーが作れるということ。

 

そこから出てくる言葉のかけらたちを組み合わせて、

流行りのフレーズに引っ掛けてみたり、言わなくてもわかる言葉を省いたり

効果を連想させるような表現をしたりと、様々な技法を紹介してくださった。

 

キャッチコピーの作り方を学んだのはもちろんだが

講座に参加して、参考にしたいなぁと思ったことが

プレゼンテーションの方法、話し方のところ。

 

今日は、キャッチコピーの作り方を学ぶぞ、と意気込んでいるところに

冒頭から急に「鷲掴み」について話し始める。

少し脱線して、鷲掴みの画像検索や動画を公開したり。

このくだりで、まさに参加者の心を掴んでいた。

ただ笑いをとっているだけなのかと思うと、

鷲の説明をしながら、鷲掴みがどういうことなのか

鷲掴みという言葉から学ぶことがあることを上から目線にならずに伝えていた。

 

自分にはまだない、ところだ。

時間の短いプレゼンの時はできないが、プレゼン時間に余裕のある時は参考にしたい。

 

人を笑わせること、興味を引くことで伝わり方が変わる。

意図的に興味を引かせる努力をしよう。

新しいことをやってみる

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こんにちは、コマツです。

 

今日は、人生で初めてアイスホッケーを経験。

アイスホッケーをしました、というよりも

アイススケートをしました。という方が正確かもしれない。

それぐらいに、ひたすらずっと滑る練習をしていました。

 

 

スケート靴を履いて、リンクの上で立つのがやっとな状態からスタート。

 

かっこよくプレーしている先輩たちの姿に尊敬を抱きつつ、

お手本を見せてもらい、手取り足取りで滑り方を一から教えてもらう。

 

新しいことを始めると、最初はワクワクと楽しくても

転けたらどうしようとか、できなくて悔しかったりと、失敗がつきもので。

 

とにかく、滑りまくって、少しだけ滑れるようになれた。

 

汗だくになりながら、練習に取り組んでいて改めて思ったことがあった。

 

上達するには恐怖心を捨てること。

とにかくトライアンドエラーを繰り返して上手い人にできないところを聞くことが、上達への近道ということ。

 

 

今日チャレンジしたことが、アイススケートだったから

なおさら転ける恐怖心が強かった。

 

転けないようにすると、安全な範囲でコツが掴めない。

先輩から教わったことを活かして、やってみるには転ける覚悟でやるしかなかった。

 

転け方さえ間違わなければ、絶対に怪我はしない。

こういう転け方をすればいいよ。ということも教えてもらった。

 

何より一番感謝したことは、

自分が失敗するのをわかっていながらも、コツを教えてくれる先輩の優しさ。

 

挑戦と失敗ができるのは、周りの協力のおかげがあってのこと。

少し話が逸れるかもしれないが、こういった、転んでも周りが助けてくれる人間関係が身の回りにあると生きやすいのではないだろうか。

 

初めてやってみたアイスホッケーは、難しかったという一言に尽きる。

難しいから、できないからもっと練習したいと思ったのだが、

これも何か大切なことのような気がする。

 

今日、身を持って体験したことは何事においても通じることのはず。

この感じたことを忘れないでいよう。

使命感で行動する

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こんにちは、コマツです。

 

僕は、大学生の頃から「リレイション」という会社で、名刺も持たせてもらい、

まちづくり事業や人材育成事業に関わらせてもらっていました。

 

大学を卒業し、社会人になったのが今年の4月。

現在、浦幌町の地域おこし協力隊として働いています。

 

大学4年生の秋に、僕にはまだ明確な使命感を持っていないということを感じていた。

最近になって、少しずつ僕にとっての使命感というものがなんなのかが見えてきた。

 

それがなんなのかを書く前に、

僕のどうして使命感が見えてきたのかを記録しておきたい。

 

僕は、基本的に自分が発信源となって

「こういう社会にしたい」とか「こんなことがやりたい」ということをいう方ではない。

自己主張をすることが苦手なことや根っこの部分にある引っ込み思案な性格。

そんな理由から、「〜したい」という欲求が低いことに周りの先輩方を見ていて気づいた。

 

その自分が、いいか悪いかは置いておいて、周りの姿を見ていて

やりたいこと、したいことを持つことは悪くないし

実現できるかなんて考えずに、夢は多ければ多い方がいいのではという仮説を持った。

 

これをきっかけに、

自分の大切にしたいことを仕事にして、「やりたい」という思いを持とうと決意した。

 

さて、話を戻して

僕が大切にしたいことは、なんなのか。

 

「子どもの頃に育った原風景である、地方にある一次産業の風景を残していきたい」

「都会に目が向いている人たちに、地方に受け継ぐべき価値があることを伝えたい」

ということ。

 

そのための手段として、今のまちづくり事業、人材育成事業の仕事や

旅行業の資格を活かしたツアー提供に取り組んでいきたい。

 

つまり、

「地方を受け継ぎ、残していくために地方の価値を伝えたい」

ということが、自分の使命だと思って今できることを活かして、前に進んでいきたい。

 

まだまだ論理的、具体的ではないかもしれないけれど、

以上が僕にとっての使命感だということが見えてきた。

 

使命感を持つとなぜいいのか。

自分を客観的に見ていて思うことはこうである。

 

論理的に考えて生まれてくるアイデアは、

「今ならこれができる」とか

「現状整理して、こういうニーズがあるから売れるだろう」とか、

なんだかつまらないモノしか出てこない。

 

けれど、「やりたい」という思い、使命感があると、

主観的な「これを届けたい」や商品・アイデア・描きたい夢が先に出てくるといった調子である。

全然、論理的ではないけれどワクワクする直感的なアイデアが出てくる。

それを実現するために、いろんなことを主体的に取り組むことができるのだろう。

まさに「Don't think, feel!」だ。

 

社内事情や環境を考慮したら遅いことはわかっているけれど、

僕は今、アイデアをイメージする段階にある。

僕の遅れ気味なテンポをあげて、

大切にしたいこと、やりたいこと、届けたいモノを感じて言葉にしなければ。

考えるな、感じろ!